■RED AND BLACK■レ・ミゼラブル2015日記 -32ページ目

ある「レ・ミゼラブル」ファンの、きょう1日

昼間、仕事のメールに「市民権」という言葉を見つけると、「警告は嘘だ 市民は立つぞ」の歌を思い出す。

午後、雨が降ってきたと聞けば、「帰るころ、舗道は銀色かもしれない」と思う。けれど雨はじきにやみ、すっかり乾いた道路に気分をそがれる。 

夕空に星が一つ見えると、「『木に星明かり』って、どんな風景だろう」と想像が広がる。でも都心の明るい夜に、闇はない。

家路をたどりながら聞こえるのは、強い風が上空で渦を巻いている音。「聞いて 風が鳴いてる…」と、レ・ミゼラブルのメロディーがまた響いてくる。


ファンはみんな、こんな感じなのかなぁ…






いただいたコメントのおかげで

「冒頭の囚人たちは、どんな仕事をしている設定なの?」

「アンジョルラスとマリウスが配っているビラは、だれが作ったの?」

「レ・ミゼラブルの日本語詞ができるまでのことを、もっと知りたい」


そんな好奇心旺盛なあなたは、森田浩貴さんのblog へ! 

ご存知の通り、1997~1998年にアンジョルラスを演じていらした方です。

このblogにもコメントを寄せてくださっています。 


そのほかにも、たくさんのコメントのおかげで、これまで知らなかったレ・ミゼラブルの歴史がひも解かれていること、とてもありがたいことだと思っています。感謝を込めて。

マリウスはジャベールを覚えてるの?

バリケードで一度捕らえられたジャベールがいきなり立ち上がって、学生たちを振り払い「好きなときに撃て。子どもの遊び、学生の裁判、笑わせるぜ」と開き直るシーン。学生たちはとっさにジャベールへ銃を向けているが、マリウスだけはそれをためらっているように見える。なぜだろう?


もしかして、ベガーのシーンでコゼットとバルジャンがテナルディエ一味に襲撃されたとき、助けてくれた警官だということを思い出したからだろうか?


でもそれなら、ガブちゃんに言われる前に気づけよ! と突っ込みたくなる。


大阪公演の日程発表

2005年12月8日(木)~2006年1月15日(日)
梅田芸術劇場メインホール
一般発売日 2005年9月10日(土)

公演情報はこちら
キャストスケジュールはこちら

それにしても、またまたど迫力なビジュアルですね。
すっきりしたデザインのポスターも、一度見てみたい気がしますが。

初心者集合!

短縮版になった2003年と2005年の公演から、レ・ミゼラブルにはまったという皆さん!(筆者も2003年からです)

「パリ十年後」での設定やブリジョン、プルベールの動きなど、旧バージョンでは現在とは違った演出があったのだということを、この記事のコメント で教えていただいています。ぜひ見てみてください。

しびれる一言

以前に書いた「パリ・十年後」の乞食婆とマドレーヌ(若い娼婦)のやりとり
のほかにも、思わずしびれるフレーズがいくつかある。何度聞いても飽きない、いや、何度でも聞きたい一言を、筆者の私見で2つ挙げてみる。



●山口バルジャンの「独白」



「生まれ、変わる、のが、神の御心……………か……」



「変わる」をセリフっぽく強調するのと、最後の「か」をやわらかく言うのと、印象を対比させているのだろうか。「御心」の後で間をたっぷりおき、「か」は空間に音がふわっと残る感じで発している。変わるのをためらう気持ち、自分の心の変化が信じられないという戸惑い。それらを音楽に置き換えるとこうなるのか、と教えてくれる。



●史桜娼婦の「ラブリイ・レイディ」



「お道具、見せてやりな」



あの抑揚と緩急の付け方を、文字で表現するのはとても難しい。夜の商売へとファンティーヌを誘う、最後の殺し文句だ。魅惑的でいながら、冷めた声。不安なときにこんな声が聞こえてきたら、自分もなびいてしまうかも…とすら思わせる。キャストを確認しないで観たときでも、ここを聞けば「あ、今日は史桜さんが出ているんだ」とすぐ分かる。

グランテールと酒瓶

バリケード陥落直前のグランテールは、毎回注意して見ているつもりだったのだが、週末の観劇で今さらながら発見したこともいくつかあった。


阿部グランテールは、アンジョルラスが撃たれた大砲の音を、背中で聞く。ハッと顔を上げたあと、左手に握り締めた酒瓶を数秒じっと見つめているのは、初めて気づいた。「俺がしてきたことは、なんだったのか? 結局、死なせてしまった…」と無念さに耐えているような姿だ。


グランテールの酒は、「死など無駄じゃないのか、偽りじゃないか?」という彼の疑問の象徴である。尊敬するアンジョルラスに、死まで賭けた革命への懐疑を訴えてきたつもりだったけれど、何にもならなかった…。現実を認めなくてはいけない。グランテールはそう心を決めたかのように目線を真っ直ぐ戻し、バリケードを駆け上がって、アンジョのいた位置で赤旗の代わりに酒瓶を振りかざす。


この日、東山アンジョは最後、敵に向かって旗をはっきり広げて見せてから、左右に振り出した。記憶違いでなければ、阿部グランも「行くぞ! 見てろ!」とばかりに酒瓶を高く掲げてから振り回していたと思う。これが正しければ二人とも細かいところまで同じ動作をして果てていったことになる。


さらに涙が出たのは、グラン自身が撃たれて酒瓶が手から落ちても、旗を持っているかのように腕を大きく何回か振りながら倒れていく姿だ。別の日に見た伊藤グランテールは、そこで赤いタイを振っていた。



「パリ・十年後」の謎

以前書いた記事 では、「パリ・十年後」(ベガーのシーン)の若い娼婦とヒモ(プルベール役の役者さん)がアンジョルラスに言い寄っていることを書いたが、今日はその後のヒモの動きを見ていて、このシーンの全体像を改めて捉え直さなくてはいけないような気がしてきた。


ヒモは舞台上手でアンジョルラスに娼婦を勧めるものの、一瞬目を離したすきに逃げられてしまう。あわてて舞台奥中央(エポニーヌが乗っている橋の向こう側)まで追いかけるが、もうアンジョルラスの姿は見えず、がっくりしている。


すると間もなく、だれかがヒモに襲い掛かる。クラクスーだ。文字通り踏んだり蹴ったり、ひどい虐待をしているように見える。ヒモは地面に転がされてなされるがまま。マダムテナルディエも加わり、二人で暴力を加え続ける。


ひとしきり蹴り飛ばすと、マダムとクラクスーは気が済んだのか、ヒモをほっぽり出す。

彼はほうほうの体で舞台上手の娼婦のもとへ戻り、「ああ、痛えなあ」と肩を回したり腕をさすったりしている。

疑問に思ったのは、その後のヒモの様子である。

「突然、とんでもない被害にあった」と深刻ぶるのではなく、「また、あいつらにやられちまったよ」と日常茶飯事の騒ぎとして受け止めているようなのだ。


ここで推測するに、

テナルディエ一味はこのスラム街の元締めのような存在なのだろうか?

確かにマダムの「カモだよ、仕事だ。持ち場につけ!」の一喝で乞食たちに緊張感が走るあたり、ある種の支配構造が感じられるのだが、具体的にどういう関係なのかはこれまでよくわかっていなかった。

もしかしたら、テナルディエはここで営業活動しているヒモからショバ代を巻き上げているのかもしれない。ヒモを虐待していたのは、アンジョルラスというカモを逃したから、またはショバ代の実入りが悪くなるから?

そのあと、新たなカモとしてバルジャンとコゼットが来るのだが。


このシーン、しばらく注意深く追ってみたい。といっても、もう公演が残り少ないのだが…


追記:1

上の話は、二人いるプルベール役者さんのうち、萬谷さんの出番を観察したもの。もう一人の山名さんのときは違っている部分があるかもしれないので、ご注意。

追記:2

ブリジョンと若い娼婦って、どういう関係なのだろう。友達みたいに仲良さげに話しているのだけど。

世界のファンは、どう観てる?

4月30日に千秋楽だったプリンシパルの一人、

コング桑田テナルディエは、カーテンコールでこんなあいさつをしていた。


「43年間住み慣れた大阪を離れ、これに出るために東京へ引っ越してきました。

今では帝劇がお父さん、この作品がお母さん、共演者・スタッフは兄弟姉妹と

思うてます。観客の皆さんは親戚のおじちゃん・おばちゃんです☆」


作品と仲間をとても愛していることが伝わってくる。いい言葉だ。

そして思った。

レ・ミゼラブルを愛する観客同士も、

お互い兄弟姉妹みたいなものではないだろうか。

(「そうは言ってもいろんな人がいるよ…」という声は、ちょっと置いといて)


日本だけではない。世界の約30カ国で上演されているのだから

国境を越えてきょうだいがいるのだと言える。

思えばロンドンで、現地の人とこの作品を語る機会はなかった。

もったいなかったな。せっかく行ったのに。

外国の人はどんな感想を持っているのか、一度語り合えたら楽しいだろう。


演劇のふるさとロンドンのレミゼ、

冷戦の象徴からコスモポリタンの街へと変貌したベルリンのレミゼ、

「プラハの春」と「ビロード革命」の舞台であるプラハのレミゼ、

そして伝統と現代がせめぎあう上海 のレミゼ…


(ちなみに上海プレミア公演広告のチャイナコゼット が可愛い。

「孤星涙」とはせつないタイトルだけど、先に出てきたリンク先にある「悲惨世界」よりはいいかな)


そうだ、東京にはたくさん外国人がいるのだから、

レミゼを見たことのある人だってきっと相当いるはずだ。 

帝劇でもときどき見かける。

「世界のファンとレミゼを語ろう」なんてイベントはどうでしょう、東宝さん?


追記:

英語版の公式サイト に、日本の公演情報が載っていないのは

どういうわけだろう。

2003年の夏に帝劇で上演していたときは、

英語で情報が掲載されていたのに。

レ・ミゼラブル in LONDON

ロンドンへ観にいったのは、もう1年半も前のことになる。
現在上演されている Queens Theatreではなく、Palaceという劇場だった。
地図を見ながら歩いて探し、左の写真にある大きなコゼット看板が見えてきたときは、
「これを目指してはるばる東洋からやってきたのだ」
と達成感を覚えたものである。


演出の違いで、今でも印象に残っていることは2つある。


・ファンティーヌのポーズがえらく大胆だったこと。


「抱いてよ札束で 夢中であんたはわからない…」のくだり、自分でスカートを全部はだけて、下にはいているペチコートをあらわにしていた。びっくりしたけれど、自暴自棄になった様子はよく伝わってきた。


・ガブローシュの死とバリケード


ガブローシュが撃たれたあと、盆の回転が早めだったように思う。バリケードの皆は、バルジャン含め、全員直立不動で凍りついていた。


下の画像は、ほかの劇場でみつけた「レ・ミゼラブル」の宣伝リーフレット。街中に貼られている「レ・ミゼラブル」のポスターやパンフレットも、リトルコゼットの絵ではなく、このようにエポニーヌの写真を使っていた。地下鉄ホームへ降りる長いエスカレーターの壁面広告にも、ずらーっとこのエポニーヌ顔が張り出されていた。ちょうど売り出し中の女優さんだったのか? 確かに上手だったけれど。Sophia Ragavelasさんという。そのときのパンフレットをみると、JCSやライオンキング、イーストウイックの魔女たちに出演経験はあるが、大きな役はエポニーヌが初めてだったらしい。