■RED AND BLACK■レ・ミゼラブル2015日記 -6ページ目

バルジャンはロイヤルウエディングの日、何を着るべきか?

ロンドンのレミゼの公式ツイッターをフォローしているのですが

いつもこんなアホな記事が多くて、和ませていただいております。


Les Misérables

What should Jean Valjean wear to the Royal Wedding this Friday - 1) Prisoner Costume, 2) Tuxedo or 3) A Ghost costume used to scare Javert?

コゼットのウエディングドレスを着たらどうですか? もちろん、カーテンコール限定でね。

上原アンジョを観て、なんだか胸が苦しい

今年最初のレミゼで心わしづかまれた上原アンジョを間近で堪能すべく、今日(もう昨日だけど)は1階前方席を予約し、いそいそと出かけたのである。終わって劇場を出る時に、こんなに複雑な気分を抱えることになろうとは思いもせずに。



1幕まではこれまで観たとおりだったの。「カリスマ」という言葉はこの人のためにあるのだと思わせるほど、学生を束ねるオーラ出まくり。深く太く艶のある声と陰影たたえる眼差しで、凛と背を伸ばし「♪市民は立つ!声を聞いて群れとなりて!」と呼びかけられたら、もう心は上原アンジョ一色になる。客席からも拍手で称賛を送らずにいられない。



だけど2幕、エポニーヌの死を区切りに、彼の中に変化が起きた。「恵みの雨」では、何かをかみしめるように目をそらさず彼女をじっと見つめ続けている。そして戦いを経て「過ぎた日に乾杯」。「♪死も恐れぬか」と戦いへの疑問を吐露するグランテールに向かって、冷徹な一瞥をくれて再びバリケードに戻っていく上原アンジョを目で追うときに、注目してしまうのは後ろ姿の弱々しさだ。今までのカリスマっぷりが幻だったのかのように、小さく背を丸め、力なく砦に足をかけているのは、どうして? グランテールのひとことに、自分の中で封印していた何かを見て、うろたえているかのようだ。「彼を帰して」が始まるころには、とうとうバリケードの頂上でへたりこみ、うなだれてしまう。ここで立ち続けず座ってしまうアンジョは、めずらしい。立っていられなくなるほどの、どんな混乱に陥っているんだろう。



プレビューで初めて上原アンジョを観た時ももちろんこの動きには気づいていたんだけど、いま一つピンとこなかった。でも今日は、少しだけわかった気がする。自分の胸にある戦いへの恐れや信念への懐疑を、上原アンジョは見つめているんじゃないかな。エポの最期やグランの問いかけを通して死をみつめたことで自分の中の弱さを認めたのかもしれない。

だからこそ“市民に見捨てられ”るというショックを受けてもなお、優しく「♪子どもある者と女たちは去りなさい」」と言えたのではないだろうか。



ガブちゃんが命を落としたあと「♪死のう!僕らは敵など恐れはしない」と叫んだ時の気持ちは、バリケードが出来上がったとき自信たっぷりに歌い上げていた「♪恐れるな信じるのだ」での気持ちと、まったく違っているだろう。弱さを知った人間の強さを、今日の上原アンジョの最期の声「♪立つのだ仲間よ 世界に自由を!」に感じた。



前向き一直線なアンジョではない。理想に燃えながら悩み、自分と仲間が戦う意味をみずからに問い続けているアンジョ。そこに思いをはせると、なんだか胸が苦しい。好きなのに。そしてもっと観たくなる。

今ここがわからない

●阿部アンジョが「民衆の歌」シーンの最後、リヤカーに乗って舞台からはけていくときに叫んでいる言葉。

 まったく聞き取れなかったのだけど、わりと長めの、難しい系の言葉を発していたような…??

余談だけど、このセリフ、役者によって傾向がわかれる。「行くぞー」「フランスに自由を!」みたいなわかりやすい短い言葉を発する役者と、「王宮前広場へ集まろう!(←ちょっと違うミュージカルから引用)」みたいな聞きなれない長い言葉を述べる役者がいる。上原アンジョは短い系だよね。


●吉原バルジャンがリトルコゼットを「高い高い」している理由。

 「取引」の最後、リトルコゼットを救い出して着替えさせたあと抱き上げるけど、そこで定番通り「くるくる回る」のではなく、「高い高いをしながら回る」という新しい動きを見せておりました。

「高い高い」すると、コゼットが1歳くらいの赤ちゃんみたいに見えてくるのは、私だけでしょうか。リトルコゼットくらいの年で「高い高い」って、普通するかなあ…?。幼さを強調するために、あえて吉原バルジャンはやってるのでしょうか。

フイイ次第でABCカフェの感動は変わる

今年はフイイの当たり年だね!


フイイがいかに頼もしいかが、ABCカフェからバリケードシーンにかけての感動を左右するといっても過言ではないと思う。個性の強い学生たちを受け止める、優しい兄貴キャラなフイイ。アンジョルラスが描く理想を、民衆の心に訴え続けるフイイ。みんなが頼りにしたくなるこのキャラクターが舞台で生き生き活躍してこそ、客席にいながら「自分も革命についていこう!」と感情移入してしまうんだよね。まるでABCの学生たちに加わるべく背中を押されているかのような気さえするから不思議だ。


プレビュー初日で観たフイイがあまりに完成度高くて驚いたのだけど、2009年出演の鎌田フイイ が続投していたんですね。ABCカフェから街へ出たあと、「民衆の歌」のソロでしっかり聴かせる深い覚悟、アンジョを乗せたリヤカーを先頭で手を振り導くときの希望で輝くばかりの表情。心の熱さをこんなふうに伝えてくるフイイ、私には民衆の歌のシーンでひときわ光って見える。素敵だ!


もうひとりのフイイ、宇部フイイは阿部アンジョルラスとの組み合わせのときに観たのだけど、「♪ 来い相手になるぞ~~」の太い叫びを聞いて、アンジョの頼れる参謀であることがはっきりと分かった。阿部アンジョも含めたバリケードみんなの心のよりどころとなりうる安定感がある。アンジョやグランテールやほかの学生たちが少々脱線しても宇部フイイがいてくれれば大丈夫だろうな、と思わせる存在だ。


開幕間もないこの時期でも、ABCカフェの学生たちに深く思いを重ねることができているのは、今年のフイイ2人の力量に負うところが大きい。彼らのフイイに出会えて、よかったな。

等身大なエポが新鮮

今年のプレビュー1回目も本公演初回もjenniferエポだったんだけど、すごく等身大に感じながら、すごく新鮮だった。こんなエポニーヌに出会ったの、初めてだな。


いや、正確にいうと初めてじゃなくて、数年前にロンドンで観たエポニーヌのイメージに近いかも。置かれた境遇の哀しさよりも、それを生きる意思のほうを強く感じるエポという感じ。


彼女のエポは決して“かわいそうな子”っぽくやせ細っているわけはなく、ぼろぼろのキャミから出ている二の腕は普通にたくましかったりする(笑)。でも、マリウスを思う一途さや自分の運命から逃げない心が、確かな歌唱力に乗って客席まで力強く伝わってくるから、惹かれずにいられなくなる。


jenifferエポがすごいのは、それらがいい意味で芝居じみてないところだと思う。彼女の歌う「♪その髪好きだわ」とか「♪コゼット変わった…みじめな今のあたしを見て」を初めて聞いたとき、1832年のパリに生きる少女の台詞だけには聞こえなかった。2011年の東京の、渋谷や新宿のビルの陰で、普通の女の子が現実につぶやいている言葉のように聞こえてならなかった。そんなふうに感じた人、いないかなあ…。彼女の歌はミュージカルの台詞というよりも、街角のリアルな女の子の声のように伝わってくる。いまこの時代を生きているjenniferという女の子の生身の感情がが舞台でエポニーヌに吹き込まれているから、そう思えるのかもしれないね。「エポニーヌを演じている」んじゃなくて、「エポニーヌを生きている」というほうが近いのかも、彼女の場合。


On my ownも、豊かな声量で余裕を持って歌いこなしているけど、彼女の想いは叙情的なメロディに流されたり埋没したりすることがない。むしろ際立ってくる、せつなさが。友達に語りかけるように歌う「♪雨の舗道は銀色…」で目の奥が濡れてしまったのは、いつかのスペシャル公演で観た島田エポ以来のことだ。うつむきがちな笑顔で口にするそのワンフレーズだけで、想像の世界で得る喜びとそれが現実にはなりえないむなしさとが、ごちゃまぜになって胸をしめつけてくる。


「♪知ってる 夢見るだけ」からクライマックスまで一気に駆け抜けるように歌うのは、ちょっと力みすぎているような気がしないでもないけど、jenniferエポならありかな、と思う。そうやって夜の街にひとり、想いをはきださずにはいられなかんだったろうな。


今までいそうでいなかった、現代にも通じる女の子の等身大な想いを表現するエポニーヌ。素敵なキャラクターに出会えて、今年のレミゼがまた楽しくなった。

揺れた

■RED AND BLACK■レ・ミゼラブル2011日記-201104121252000.jpg

「ゴミを始末しろ仕事に戻れ」あたりで地震。ちょっと客席ざわめいたけど、舞台はそのまま進行。禅ジャベ、身体を舞台袖に向けてスターズを歌いはじめてたのは、指示を確認してたのかな。さあ、二幕!

心わしづかまれバリケードへ

■RED AND BLACK■レ・ミゼラブル2011日記-201104082008000.jpg

あのアンジョは誰さ?
あぁ君の名前も知らない…。
今日から3ヶ月間、心はバリケードに。

映画館でLes Miserables in Concert


■RED AND BLACK■レ・ミゼラブル2010日記-映画の休憩中に撮影


(臨時に更新します)


スクリーンいっぱいに力みなぎる「ワンデイモア」を見届けて休憩に突入した瞬間、胸に浮かんだのは「Amazing!」のひとこと(英語版歌詞に感化されて、思わず英語になった)。10月にロンドンで行われた25周年記念コンサートの模様がいま、期間限定で日本の映画館 4ヶ所で上映されている。


●アンジョ魂に火がついた

どのキャストも声量あって歌うまくて「さすが本場だわ~」と途中までしみじみモードで観てたんだけど、アンジョの登場でテンションが一気に上がった↑↑ 「♪それは将軍ラマルク」以降、すべてのシーンがアンジョ目線でしか観られなくなってしまった。不思議ね、私のアンジョ魂に火がついた、そんな感じ♪ 役者はRAMIN KARIMLOOくん。目力がすごい。希望のほかには何も映していない、明るく光る瞳。舞台の上でアンジョだけしか持ち得ない、だけどすべてのアンジョ役者が持っているわけではない、誰よりも輝くまなざしは、学生や市民をひきつけるカリスマ性そのものだった。アップになるシーンが多いので、余計に印象が強く残る。


でも一番惚れたのは、彼が目を閉じていたとき。「♪鼓動があのドラムと響きあえば」でRAMINアンジョは目を閉じて、右手を自分の心臓の上に静かに当てていたの。そう、鼓動とドラムの音が響きあうのを感じている。ああ、この人、心の奥の奥までアンジョルラスなんだなあ…。こんな姿見たら、グランテールじゃなくても、惚れる。


2幕、バリケードで戦う動きは割愛されたけど、怒りと決意に満ちたアンジョの視線だけで、砦に漂う緊迫した空気が伝わってきた。「最後の戦い」から、くちびるを噛みしめずには観ていられなかったもの。


プロフィールによればRAMINは数年前までフイイを務め、マリウスのアンダーもやってたみたい。フイイ出身のたたき上げか。どうりで。



●ダークホース、コゼット

今回のコゼットは金髪ロング。いままでのイメージとあまりにかけ離れてるから、どんな感じになるのかしらと心配してた。でも濁りなく澄んだ明瞭な歌声を耳にして、一安心。愛らしさと強さを併せ持つコゼットを、うれしく思った。声量もあるし、「♪足取りも確かで~」のシーンでは、悩めるマリウスを支える頼りがいも感じさせたし、とってもいい。ダークホースだな。でもやっぱりヘアと衣装は、従来のものがいいと思う。 今回、金髪ロングで、衣装も白地に青い縞模様のワンピだったから、ファンテと見た目の印象がかぶるんだもん。まさか、あえて母娘のかぶりを狙ってるわけじゃないだろうけど…。


そのファンテは、有名なレア・サロンガさん。「夢破れて」聴いて、岩崎ファンテ以来、初めて涙流れた。


●ゆゆしき字幕問題

字幕の日本語訳が問題。東宝版の日本語歌詞がそのまま出てきたり、、いきなりオリジナルの訳が出てきたり(工場で手紙奪われるファンテは「カマトトちゃん」と言われてた)、また東宝の歌詞に戻ったり…と、ごちゃまぜなんだもの。明らかにシーンの意図と異なる訳もあった。♪それが許されるのか?恥ずかしくはないのか? 途中から字幕を観ないようにして、日本語歌詞で味わいたい部分は自分の頭の中で歌うことにした。


それにしても、この映画オリジナルの訳をみて改めて気づかされたのは、東宝版の岩谷時子さんによる訳詞の格調高さ。岩谷さんの訳詞でなければ、レミゼをここまで好きにならなかったかもしれない。


●DVDを買いたい理由、買うのためらう理由

イギリスでDVD が発売予定。

買いたい理由は、初演キャストを含む歴代バルジャンによる「彼を帰して」コーラスが聴けること(終了後のおまけプログラムだったんだけど、まさか収録されてるよね?)。奇跡のような組み合わせが奏でる歌が、貴重だから。

買うのためらう理由は、映像のカット割りがところどころ、自分好みではないこと。例えば今回の映像では「オンマイオウン」のシーン、ほとんどエポの顔の“寄り”なんだけど、わたしは“引き”で見て彼女の孤独さに感じ入るのが好み。「恵みの雨」では、「♪痛くないわ(か)」と呼びかけあうエポとマリウス中心の映像だったけど、私はこのシーン、後ろで厳しい顔して見守っているアンジョとグランテールに注目していたい。でもまあ、カット割りに関してはあきらめるしかないか…。


●帝劇で中継やってほしかった

コンサートは当日、イギリス国内はもちろん、オーストラリアや北欧などでも中継されたらしい。日本は中継仲間はずれ? 帝劇で生中継してくれたら盛り上がっただろうに! 当日はエリザベート開演中だったけど、緞帳に白い布張ってスクリーンにすれば問題ないじゃん…。いまからでも検討してくれないかな。来年の公演のプロモーションにもなるだろうし。そのときの訳詞は東宝版でよろしく。


臨時更新にしては長くなっちゃった。 Love, Les Miz. 次の春に、帝劇で。

それでも前へ進もうとする人たちの歌

たった今のワンデイモア、イントロで胸が苦しくなった。舞台にいるバルジャン、コゼット、マリウス、エポニーヌ。4人の前にそれぞれ立ちふさがる苦悩の壁が見えたからかも。
でもやっぱりこれは希望の歌だ。恐れを乗り越えて自らの足で未来へ踏み出そうとする人たち。そのパワーこそ、希望の源だ。
学生たちの2幕にも期待できそう!

岡ジャベの変化を見届けたいけど

帝劇レミゼ公演、2ヶ月じゃやっぱり足りない。

プリンシパルもアンサンブルも複数キャスト制で、一人あたり登板数が限られる中、開幕ひと月たって役者さん各々の演技に深みが出てきた、今この時期。まさにこれからの変化が楽しみ!というタイミングなのに、もうすぐ閉幕だなんて。あぁもったいない。

変化が楽しみな人の一人が、岡ジャベ。今期何回か観てるけど、ついこないだの舞台で、新しいフェーズに行こうとしている兆しを感じたから。

なんといえばいいか…、そこにいたのは「ジャベールを演じている岡さん」ではなく、「岡さんぽいジャベール」でもなかった。岡さんの中にジャベールがいつの間にかごく当然のように入り込んでいて、ジャベールの悩みを自らのものとして悩み、感情を吐露している姿が、舞台の上にあった。

例えば「♪不思議だ信じられない あなたの歳でどうして…」のくだり。一語ずつかみしめながら歌っていたこれまでとは違って、まるで言葉が坂道を転げ落ちて行くかのように、口早に一気に歌いきっていた。自分の目撃したものを疑い、無意識のうちに焦っているジャベールの心の内が初めて垣間見えたようだった。

自殺で「♪あいつの罪まで許していいか」だけをオクターブ上げて歌っているのも、ジャベールの動揺がいっそうドラマチックに感じられる。劇場を出てもなお、余韻が身にまとわりついて離れないほどだった。

変わりゆく岡ジャベールの行方をもっと見たいのに、日数が足りない。別れは早すぎるわ。