■RED AND BLACK■レ・ミゼラブル2015日記 -35ページ目

死んで消えるべきものではない

今日4/24ソワレのバリケード陥落で、涙がぼろぼろと落ちてきたのは、

最後の戦いで小鈴アンジョルラスが赤旗を大きく振る直前のことだった。

 

撃たれたマリウスの様子を見に下へ降り、

グランテールが無言で制止するのを振り切って、またバリケードを

駆け上がっていったアンジョルラス。

弾がなくなり万策尽きたとき、

頂上に掲げられた旗を手に取ると、

敵陣に向けて、布地をわずかにピンと張って見せつけたように見えた。

ほんの1秒ほどの出来事か。記憶違い、見間違いでなければ…

その後、全身の力で赤旗を左右になびかせ、銃弾に倒れる。

 

理想とか使命というものを、演技で表現するとしたら

こんなふうになるのかもしれない。

舞台からその表情は見えないけど、

死んで消えるべきものではなかったはずだ。

 

そう思ったら、アンジョルラスや同志の学生たちが、

最後まで“馬鹿正直”に生き、次々と死体になっていく様に、

泣かずにはいられなかった。

 

使命もやりきれなさも自分の内面に収め、

死を恐れぬ姿勢を敵と仲間にはっきり示した小鈴アンジョ。

こんな大人のアンジョルラス像も、またいい。

 

 

 

 

 

 

 

ひとり旗を握り何を想うの

山口バルジャンの「彼を帰して」は、暗闇に揺れるローソクの灯のよう。

静かに優しく舞台を流れていく。

 

今日4/23は、その美声をBGMに、バリケードの人々の

しばしのくつろぎを観察してみた。

みんながうっとり安らいでいる中、

岸アンジョルラスはバリケードの頂上で警戒を続けている。

今まで、そこは直立不動にしているだけかと思っていた。

違っていた。

マリウスの無事を祈る歌が聞こえているのかどうかは分からないけど、

曲が後半にさしかかったころ、見張りをしていたアンジョラスがふと、

自分の隣で揺れる大きな旗の端を、そっと握り締めるではないか。

 

手の中の赤い布きれに何を語りかけたのか…

これでいいのか、という逡巡にも見えたし

来るべき敗北を受け入れ、死の覚悟を決めたようにも見えた。

 

そういえば「過ぎた日に乾杯」の歌のシーンでも似たようなことがあった。

グランテールが差し出した酒を拒み

レーグルから受け取った方を口にするアンジョ。

今日の岸アンジョはそこでグランテールに目で語りかけることもなく

クールにバリケードへと帰っていった。

「ちょっと冷たすぎやしないかな」と思ったらそのとき、

ガラクタの山を登る足がすこし止まった。

「あれで良かったのか…?」とアンジョの背中が語っている。

グランテールにあんな態度をとるのが俺の本意なのか?

いや、でもリーダーには選ばねばならない道がある。

人間アンジョルラスの迷いと決心が見えたような気がした。

 

ABCカフェでも一層熱かった。

「僕らには大きな使命があるのだ」の「ある」のところ、

恋に夢中のマリウスに言い含めるように、ゆっくり強く語りかけていた。

「さあ 立ち上がろう」の「上がろう」、

「民衆が立ち上がるとき」

「歓びの声で迎えよう」…もそうだったかな。

先週見たときにも増して、歌詞をよく咀嚼して大事に意味を伝えてくれている。

 

岸アンジョはラスト3回。4月末、どこまで進化しているのか恐ろしい。

絶望に始まり希望に終わる

幕開けの音が、これだけ重くて暗いミュージカルって

ほかにあるのだろうか。

 

続いてツーロン徒刑場で「陽が灼けつく」なか、

重労働をする囚人たちが現れる。

「主よ、主よ、殺してくれ」と叫ぶほどの過酷さ。

声を挙げても「イエスさま 知らん顔だ」で

絶望の世界へ叩き返される。

 

その無念を感じさせるのが、歌い終わった囚人の残す余韻だ。

「主よ、殺してくれ」と両手を広げたあと、声にださなくても

「あぁ…」と絶句するように、ひび割れた地面へゆっくり倒れ込む様子に、

現代の生活では想像もできない、終わりなく続く苦しみを見る。

 

2005年の囚人シーンでは、この余韻が少なめで比較的あっさり流れていくように

感じられるんだけど、気のせいだろうか? 

 

ここで感じる絶望の世界は、物語の底辺をずっと流れ続けるけど、

エピローグでバルジャンが天に召されるときに、希望に変わる。

だから最初のシーンは、「重さ暗さ苦しさ」を目一杯ステージから感じ取りたい。

絶望の叫びが深く刺さるほど、最後の希望の光がまぶしく見えると思うのだ。

 

 

 

 

 

ガブちゃんのここが好き

17日ソワレのガブローシュ(桝井ガブ)の注目点。

 

・「おいらの名はガブローシュ!」と登場するときの澄んだ声。 

このとき元気があればあるほど、後の悲劇との対比が胸に痛いけど、

やっぱり勢いがあるのがいい。

 

・「テナルディエどこかで安宿やってた とんだブタ野郎」の「ブ」に

こぶしというかドスがきいていて、歌詞に重みと影を与えている。

ここはアンジョルラスの「殺せ、肥えた豚どもを」でも真似してほしいんだけど

スマートに歌う人ばっかりなんだよなあ、今年のアンジョは…

 

・「それで貧乏なのか? そーんなもんじゃないぜ」

ここでも「び」んぼうでドスをきかせ、

「そーんな」で声を引き気味に、視線を斜めにするところが

知恵のある悪ガキらしくていい感じ。

 

・バリケードの学生たちに紛れ込んだジャベールの正体を見破り、

「仔犬でもな、骨はある 降参するもんか」とからかうところ。

ジャベールのあごに触れて顔を自分の方に向かせるんだけど、

実は恐る恐るで、相手と目が合うと一歩あとずさりしちゃう。かわいい。

演技が細かいな!

これは桝井ガブちゃんだけの演技じゃないかな?

 

 

 

 

ジャベール自殺、観る方も難しい

ジャベールの「自殺」は、演じる方はもちろんのこと、

観るほうもある程度の鍛錬が必要な気がする。

 

レミゼ観劇が初めてではない友人さえ、

「あれ、やっぱり自殺やったん?」と終演後に尋ねてくるくらいだ…。

 

それはともかく、あのシーンが観客にとって手ごわいのは、

ひとつに、自殺を考えた経験がなければ感情移入が難しいこと、

そして、舞台上ではジャベールの心変わりが突然のことのように見えること、

が理由なのではないだろうか。

 

だが公演折り返し地点に来て、3人のジャベール役者の「自殺」が

以前よりリアルに感じられるようになってきた。

 

岡ジャベは、「あいつは、どんな悪魔だ!」と嘆くところから声がしわがれて、

銀髪がはらりと落ちてくるようになった

(自殺シーンの髪の毛は、うまく乱れるように

計算して止めているらしい)。

身だしなみに気を遣う完璧男のジャベールに

何か重大な変化が起こったのだということが、よく分かる。

 

今ジャベは17日ソワレの「自殺」が絶品だった。

大きなインパクトがあったわけではないのだけど、

細かい心情表現でジャベールの葛藤を丁寧につづっていて、

観る者の心をじわじわ侵食していた。

「天使か? 悪魔か? あいつは…」で

橋の上から夜空にすがるように手を伸ばすところでは、

「スターズ」のときの自信に満ちた表情を思い返さずにはいられない。

だけど今は、もう何もつかめないのだ。

その弱々しさが、壊れたジャベールの内面そのものを映しているかのよう。

 

綜馬ジャベ(なぜかだれも鈴木ジャベとはいわないような)

には、「おじさんの脆さ」を感じる。

原作でジャベールは自殺の前に、交番で遺書らしきものを書く。

その内容は警察のこと、それも細かいことばかりだ。

「あそこの収監所の守衛の何とかおばさんは、代えたほうがいい」とか。

死を前にして残すメッセージがこれなのか、ジャベールは…。

心開く相手は、法と正義しかなかったのか?

いや、最後にはバルジャンにも心を許していた。でも自分では絶対に認めない。

この遺書を記すくだりは、仕事人間の美学と悲しさに満ちていて、

読んだ日は密かに一日中、ジャベールのことで胸がいっぱいだったくらい。

そのイメージを一番感じられるのが、綜馬ジャベ。

 

これから公演後半、また三人三様に変化していくのだろうな。

今井バルジャンの静かなすごさ

4人いるバルジャン役者の一人、

今井清隆さんは、まさにバルジャンそのものだと思う。

2003年公演時、レミゼをまだ3回くらいしか観ていなかった初心者のころでも、

今井バルジャンを観ると「ああバルジャンだ…」と

どっぷり舞台の世界にひたることができた。

そこにいるのは「役者」じゃなくて、役そのものの「人間」。

魂が乗り移るって、こういう状態を言うのだろうか?

 

それが、今回の公演でさらに高みへ行っているものだから驚いた。

ことさら特定のせりふを強調して表現したり、

オーバーなアクションを取り入れたりしているのではない。

楽譜に忠実に歌いながらも、、「歌」を超えて言葉に乗せた「想い」が伝わるのだ。

 

レ・ミゼラブル、通算30回目の観劇となった4月17日夜公演、

(それでも飽きるどころか、毎回新しい発見があるのがこの作品の恐ろしいところ)

初めて「独白」で足元から震えるような感覚に襲われた。

歌詞もメロディーもいじらず歌っているのに、

なんでここまで剥き出しの心をさらせるのか…

バルジャンの動揺、恐れ、恥ずかしさ、そんな気持ちのごった煮が、

B席にまで届いてくる。こっちが胸苦しくなるほどだ。

 

今まで、「独白」の曲そのものや役者の歌唱力に感嘆したことはあったけど、

芝居として感動したのは、これが初めて。

 何がどうすごいのかを、客観的に書く技量がない自分が歯がゆい。

 

 

 

 

 

 

 

舞台の温度を上げる役者

小鈴アンジョルラスもそうなんだけど、

岸アンジョのときは、学生たちの団結力が数倍になっている。

 

4月16日マチネでは、

「彼の死に燃える炎 民衆が立ち上がるとき

今こそ喜びの声で迎えよう!」と歌ったとき

「その通りだ!」と答えた学生がいてびっくりした。

B席まではっきり聞こえた。

岸アンジョのときはこうしてみよう…なんて、

学生役の人もそれぞれ考えているのかな。

 

姿勢がしゃんとしていないのは前回同様で、

リーダーとしてのカリスマ性は見た目だけでは感じにくい。

その分、声に力強さを込めているけれど、もったいないなあ…

せっかくガタイがいいのに。

表情はとてもきりりとして頼もしい。でもオペラグラスがないと分からない。

 

藤岡マリウスは、エポニーヌの死に無力だった自分を責めているかのよう。

遺体にすがりついて離れまいとしているのを、

岸アンジョがあえて引き剥がして、強くなだめ、肩を抱いてやっていた。

その直後、「軍服の男、何の用だ」でバルジャンがバリケードに姿を現すと、

ほかのアンジョやマリウスは戦闘モードに切り替わるけど、

岸アンジョはマリウスのことが気になって、銃をなかなか構えられずにいた。

藤岡マリウスも、よろよろと立ち上がるのが精一杯で、戦える状態になっていない。

 

最後の戦いで、赤旗をめいいっぱい振って、撃たれ果てるところ、

もうちょっと狂気というか、周りが見えていないというか

最初の最後で冷静さを失った様子、切羽詰った感じを出してくれないかなあ。

旗を振るしかなかったというのは、「弾がないから」と理屈ではわかるけど、

演技でもそのあたり表現してくれたら…

 

今日は久しぶりに山口バルジャンの「Bring him home」を聞いた。

優しいささやき声、マリウスのつかの間の休息をじゃましないよう、

控えめに祈りをささげるバルジャン。

逆に、囚人のシーンでは艶のある声がややミスマッチな気も…。

なんて、ぜいたくな注文だけどね。

 

 

岡ジャベの手は語る

優雅な岡ジャベールは、指先にまで感情を込めている。

「おまけに胸には焼印がある」では、きれいにそろえた指で

自分の胸を横一文字になぞる。

「どうだ、俺の言うことは完璧だろう」と余裕たっぷりの動きだ。

 

バリケード陥落後、アンジョの亡骸が目に飛び込んできたときは

思わず胸に手を当てて敬意を表している。

これは岡ジャベールのオリジナル。

そうする理由を本人は明かそうとしないけれど、

今年の「自殺」を観て、少し分かった気がする。

 

使命じゃないだろうか。

革命のリーダーとしての使命を、命に代えてまっとうしたアンジョ。

バルジャンに一度命を助けられたことで動揺していたジャベールは、

学生の死を見た後バリケードの頂上に座り込み、何を思っただろうか。

そうだ、俺にも使命があったんじゃないか。俺が生きる理由が…

そして何かをふっきったように突然バリケードを駆け下り、

下水道でバルジャンを追い詰める。

 

アンジョとジャベール、物語の根幹となるつながりは

ないように思っていたけど

こう考えるとジャベールの運命を大きく動かした存在ともいえる。

 

司教さま、ごめんね

下の方の記事で

「新しい司教さまは、まだ力不足!」と言い切ってしまったけど

4月10日マチネ観て、前言撤回。

 

「銀の燭台を使って正しい人になりなさい」「あなたの魂、わたしが買った」の部分、

言葉をかみしめてゆっくり丁寧に話しかけていた。

ここがバルジャンの人生の転機だから、

余韻を残す歌い方をしてくれると、余計にじーんとくる

この心の震えは、観客にとっても、エピローグまでのベースになる大切なもの。

観客として素直にうれしい。

 

芝居といえば…

井料ファンティーヌの「夢破れて」、前から好きだったけどもっと好きになった。

歌じゃなくて、しっかり芝居の一部になっていたから。あの長い歌が…。

役と自分が一体になる瞬間というのが、あるのだろうか。

岸アンジョルラスに乾杯

マリウスはコゼットに

「一日のめぐり合いで世界が生まれ変わるとは」と語るけど、

岸アンジョのもとに集ったABCカフェの学生たちも、

そんな気持ちなんじゃないだろうか。

 

岸アンジョルラスの見た目は、マジメで地味なほうかもしれない。

でも、そこに力強い艶のある声が加わると、

強く静かな信念が立ち上るのが見え、観る者の胸に迫るのだ。

 

「撃てー」と「死のう! 僕らは敵など恐れはしない!」という叫びは、

理想に殉じる彼の人生そのもの。

その後に続くコンブフェールの「相打ちだぞ!」と、

クールフェラックの「あとに続けよ!」が、今日はセリフには聞こえなかった。

役者さんが本当にそう思って口に出しているんだ、と一瞬錯覚した。

このアンジョルラスなら、どこまでもついていこうと思わせる。

いつも泣きながら観るシーンだけど、おかげで今日は涙の量が1.5倍増しになってしまった。

 

燃えるアンジョには、赤いリボンが良く似合う。 

できれば、もう少し背筋がピンと伸びたら、

「バリケードの精神的柱」という存在感がより伝わるんじゃないかな…

でもそんなことは今はいいや。

4月末の楽日まで突っ走れ。赤アンジョ。

そして秋や冬に地方でレミゼ公演をするとき、成長した姿をまた必ず見せてほしい。

う~、あなた観たさに、4月のチケットを3枚増やしてしまいました。